長宗我部19代当主。元親の祖父。 兼序は知勇兼備の武将で家臣達からも信頼が厚かった。

長年、細川家の庇護下で寺奉行を務め、その地位を保持していたことが有利に働き、兼序の代で長宗我部家は一気に他の土佐豪族より抜きん出る存在となる。
だが、細川家の庇護を後ろ盾に次第に傲慢な態度が目立つようになり、土佐の豪族達から反感を買うようになった。 しかし、細川家の内紛により後ろ盾をなくすと、兼序に不満を抱いていた各地の豪族が立ち上がった。

1508年、本山氏と山田氏らを中心とする連合軍三千に攻め込まれ、兼序も岡豊城に立てこもり、五百余騎で奮闘。奇策により一戦は勝利したものの、その後城を包囲され糧路をも断たれてしまい窮を瀕し、遂に自刃をして世を去った。
家臣達も城に火をつけ、お互い刺し違えて殉死したという。
その際、跡継ぎの千雄丸(国親)を家臣らに守らせて落ち延びさせ、一条家に頼った。