長宗我部家20代当主。
5〜7歳の頃近隣豪族の連合軍により岡豊城を攻められ父・兼序と城を失う。 どうにか逃げのびた国親は、後に土佐国主である一条房家の力を借り 本山に奪われた岡豊城を返還される。

長宗我部再興に燃える国親は、破竹の勢いで近隣豪族を攻め滅ぼし、 または息子や娘達を送り込み、力を増幅させていく。

エピソードとしては、ライバルの本山と和睦をするため、 既に嫁いでいる娘を攫って本山と婚姻させた。
怒った嫁ぎ先の香宗我部親秀は岡豊に攻め入ろうとしたため 国親と家臣は寺に50日籠り剃髪し許しを乞うた。 この時から国親は「瑞王覚世」と名乗ったのである。

数年後、本山の内情を探るため国親は正妻の侍女として女装をし 本山の懐に入り込み、相撲見物や酒の席などで本山家臣の強さを計り 長宗我部の家臣団が本山より優れていると判断すると、 本山への侵攻を開始した話が残っている。

1560年、本山との戦で嫡男元親は初陣を迎え、 その奮戦振りに安堵したのか病に倒れ翌月に死去した。