元親の嫡男。身の丈六尺一寸(約183cm)、容貌は色白く柔和に して言葉少なく礼義正しく聡明。戯談するも猥らならず、 皆に愛される知勇兼備の武将であった。と残る。

元親もこの長男を寵愛し、京より優秀な人物を雇い入れ英才教育 を施した。
信親10歳の時、織田信長が烏帽子親になり「信」の一字を頂戴し、 「信親」と名乗る。

その後は四国平定のため元親に従軍するも、秀吉の四国征伐で敗 退し、翌年、秀吉の命令で九州征伐の先陣として向かうも討死。

信親が討ち死にした後の元親の落胆振りは相当なものであった。

遺骸は長宗我部家臣・谷忠澄と島津の使者が荼毘にふし持ち帰り、 百ケ日の日に高野山へ登り宿坊光明院で弔い、奥の院に供養塔を 建て両脇に四十九院を建立。
また、全員のために大きな石塔を建てて大法要を営み、後に分骨 して長浜の天甫寺に葬ったと残るが、現在の墓は雪蹊寺にある。





写真提供:高知県立歴史民俗資料館/雪蹊寺