長宗我部国親の三男で、元親の弟。
1558年、父・国親の命によって香宗我部 親秀の養子となり、以後、兄・元親の片腕 となって活躍する。

1569 年、安芸国虎を滅ぼすと親泰が安 芸城主となり、阿波進攻を担当。次兄・ 吉良親貞亡き後は、長宗我部家一門衆の 筆頭として数々の重責を担った。

1582年、中富川の戦いで十河存保を破り、 1583年には木津城を攻略するなど、兄の 四国統一に尽力。
特に中央政権との外交戦術に手腕を発揮、 1575年に長宗我部信親の烏帽子親を織 田信長が務め、以後織田氏と友好関係を 築いたこと、信長の死後、反秀吉方に立 った元親の四国平定作戦を有利に進める ために柴田勝家や徳川家康と通じたこと は、全て親泰の手腕によるものといわれる。

1592年、朝鮮出兵(文禄の役)に赴く 途上にあった嫡男・親氏が急死、 1593年、自身も朝鮮半島に赴く途上に 長門で急死した。

写真提供:高知県立歴史民俗資料館