国親・元親の家臣。吉田城主。智謀に富み武勇に優れた武将で、 1518年長宗我部国親が岡豊城に復帰すると孝頼は国親の妹を妻として迎え、 参謀となって仕えた。以降謀略を以って長宗我部家の躍進に貢献し続ける。

1526年、国親は香宗我部秀義に嫁がせる約束であった娘を本山茂辰に嫁がせてしまった 国親の違約に激怒し兵を挙げた秀義に対して、孝頼が出家して詫びたため、 香宗我部氏はその軍勢を本山氏に向けた。
これは、香宗我部氏と本山氏を争わせ、 弱体化を謀る孝頼の謀略であったと言われている。

また、長宗我部氏の軍制の基本である半農半兵制度 “一領具足”を考案したのも孝頼と言われている。

国親亡き後も元親をよく補佐し、 1563年に病死 した。